偕楽園の石碑(二)

画像二名匠碑(明治43) 報徳碑の建つ芝前門前の茶店から、御成門へ向かう苑路左手に建てられています。美術工芸品として内外から高い評価を受けていた『水戸彫』の二名匠、萩谷勝平(1804~1886)と初代海野美盛(~1862)の顕彰碑です。題額に文字は無く、帝室技藝員たる海野勝珉(1844~1915)の描く龍獅子の浮き彫り(彫刻:飛田雲玉)が目を惹きます。菊池謙二郎の撰文、書は北條時雨によるものです。
建設人には勝珉以下、二世海野美盛(東京東京美術學校教授)、小泉勝親(日本金工協會・商議員)および川上勝俊(日本金工協會・彫金部長)の名が刻まれています。

ボストン美術館のサイトで"mito school"を検索すると、200点以上の関連収蔵品がヒットしてきます。何れも精細画像で公開されており、その素晴らしい作品の数々には、ただ息を呑むばかりです。
(貴重なコレクションがアメリカにあることに、少し複雑な想いもありますが、今こうして自宅で手軽に鑑賞できるという恩恵に浴しているわけでもあり、ビゲローはじめとする研究者の熱意と寄贈コレクターの深慮には敬意を払うべきでしょう。)



[碑陽東向行三十八字]
二名匠碑
昔日水藩以文教武備嗚呼天下餘風所及工藝技術亦粲然可觀而彫金之術尤著矣蓋其刀法勁遒氣格雋邁世稱水戸彫者是也按義公之時郡司功阿彌始傳斯術谷田部通壽出乎其門有出藍之稱實爲水府彫金之祖爾來研鑽益精益盛一柳友善大山赤城軒各出新機軸於是門流分爲三派及烈公襲封紹義公之遺緒修文奮武以率一世其術亦蔚然興隆有凌古之觀當此時二名匠出焉一曰海野美盛翁一曰萩谷勝平翁海翁通稱太三郎號起龍軒萩翁通稱彌介號生涼軒本姓寺門出冒萩谷氏海翁師玉川美久萩翁學于其家兄寺門勝房而其流派齊出乎通壽焉二翁爲人温良淳厚而愛麹蘗尚風雅亦相同但其技術則異趣萩翁專守古法海翁不必拘古萩翁以氣韻生動勝海翁以緜密娉婷勝萩翁意匠多致海翁技巧無窮而至其精妙入神則二翁固無軒輊龍生煙霧鬼止啼兒盖天縦之才也弘化中二翁奉烈公之命共作赤銅薬盒公獻諸幕府大将軍嘉納時人榮之海翁少萩翁五歳以文久二年歿甞製烈公軍装之像神釆燁然如生意匠鏤雕曲盡其妙試抜去其所負之一矢則鎧冑立解離珊然有聲名工鉅匠皆嘆賞爲不可及去萩翁之歿後海翁二十四年幸際會昭代或奉帝室之命或應外人之需凢花缾香爐鍔瑑之属中外寶之萩翁之榮亦大矣二翁之門生見在都下而得水戸彫之聲譽者頗多咸曰吾徒之有今日實二師之惠賚而烈公之餘澤也胥謀欲建記恩之碑於偕樂園請文余余嘉其報本之誠不敢辭以不文爲敍其梗概如此         龍獅子 海野勝珉明治四十三年十一月  水戸 菊地謙二郎撰   北條時雨書                         飛田雲玉彫刻之


読み下し
昔日、水藩は文教武備を以って天下に鳴る。余風の及ぶ所、工藝技術もまた粲然と観るべし。而して彫金の術は尤も著し。蓋しその刀法は勁遒にして、気格雋邁、世に水戸彫と称するは是なり。按ずるに義公の時、郡司功阿彌始めて斯の術を伝う。谷田部通壽その門に出で出藍の称あり。實に水府彫金の祖となす。爾來研鑽益々精しく益々盛んなり。一柳友善、大山赤城軒各々の機軸新たに出づ。是に於いて門流分れて三派を為す。
烈公封を襲うに及び、義公の遺緒を紹ぎ、文を修め武を奮い、以って一世を率い、その術もまた蔚然として興隆し、古を凌ぐ観あり。この時に当り二名匠出づ。一を海野美盛翁と曰い、一を萩谷勝平翁と曰う。海翁は通称太三郎、起龍軒と号す。萩翁は通称彌介、生涼軒と号す。本姓は寺門、出でて萩谷氏を冒す。海翁は玉川美久を師とし、萩翁は其の家の兄寺門勝房に学ぶ。而して其の流派斉しく通壽に出ず。
二翁人と為り温良淳厚にして、麹蘗を愛で風雅を尚ぶもまた相同じ。但しその技術は、則ち趣を異にす。萩翁は専ら古法を守り、海翁は必ずしも古に拘らず。萩翁は氣韻生動を以って勝り、海翁は綿密娉婷を以って勝る。萩翁、意匠致多にして、海翁の技巧窮ること無し。而してその精妙入神に至るや、則ち二翁固より軒輊無く、龍は煙霧を生じ、鬼は啼兒を止む。蓋し天縦の才なり。弘化中、二翁烈公の命を奉じ、共に赤銅薬盒を作る。公これを幕府に献じ、大将軍の嘉納あり。時人これを栄とす。
海翁は萩翁に五歳少なく、文久二年を以って没す。嘗て烈公軍装の像を製す。神釆燁然として生けるが如し。意匠鏤雕として曲に其の妙を尽くす。試みに其の負う所の一矢を抜き去れば、則ち鎧冑立ちどころに解離す。珊然声有、名工鉅匠みな嘆賞して及ぶべからざるを為す。萩翁は海翁に後れること二十四年にして歿す。幸いに昭代に際会し、或いは帝室の命を奉じ、或いは外人の需めに応じ、凡そ花缾、香爐、鍔、瑑の属、中外これを宝とす。萩翁の栄また大なり。
二翁の門生は都下に見在す。而して水戸彫の声誉を得る者頗る多し。咸曰く、吾が徒今日これ有るは実に二師の恵賚、すなわち烈公の余沢なりと。胥謀りて記恩の碑を偕楽園に建てんことを欲し、余に文を請う。余其の報本の誠を嘉し、敢えて不文を以って辞せず。為に其の梗概を叙すこと此の如し。









画像観梅碑(大正4) 好文亭西側の七曲付近。永阪周(埭棟、1845-1924)の作・書になる漢詩碑です。埭棟は名古屋出身の医者で、東京に出て医院を開く傍ら作詩や書を究めました。案内板に、読み下し文と英訳文が記されています。
[碑陽東向]
雨歇林猶瀝烟遮湖半明梅花香滿
地春水緑通城百里賢侯躅千秋
志士名亭臺依爽■延眺不勝情
 常磐公園作乙卯二月石埭棟老人永阪周
                 井亀泉鐫

[案内板]
  観梅碑
雨やんで林なおうるおい
煙は遮って湖なかぱ明らかなり
梅花の春 地に満ち
春水の 緑城に通ず
百里賢侯の躅(あと)千秋志士の名
亭臺爽■(そうがい)に依り
延眺情に勝(た)えず

MONUMENT OF ENJOYMENT
IN PLUM-BLOSSOM
AND FRAGRANCE

(an outline)

After the rain, the grove is still moistend.
The mist lies over the lake,
only the central part is still clear.
The fragrance of plum-blossoms fills the earth,
The water of emerald green runs into the Castle.
The glorious achievements of Lords and
the great names of patriots
still remain on the hill.
The view from this hight captivates our hearts.

   ;画像 字 (大漢和#5326)   


画像常磐公園石標(大正11) 表門脇に建つ石標です。表門から、鬱蒼とした杉林の中をを歩いて好文亭へ入り、「楽寿楼」(三階)への薄暗い階段を詰めたその刹那、とつぜん開ける雄大かつ美しい景観。この陰と陽との対照の妙こそ烈公の設計思想なのです…というような話を、社会科の校外学習で聞かされたものですが、駐車場の関係で、表門は相変わらず寂れているようです。ただし、最近では県立歴史館と偕楽園の間を、新しく整備された公園を辿って往来が可能になったので、表門からの入園者もこれから増えることでしょう。
[碑陽東向]
史蹟及名勝 常磐公園

[碑側左]
史蹟名勝天然記念物保存法に依り
大正十一年三月内務大臣指定




画像茨城百景碑(昭和25) 南崖洞窟前にあります。この辺り、常磐線踏切から直接入園できた頃は、人通りも多かったのでしょうが、現在ではひっそりとしています。写真後方の築山風の盛土は、採掘された神崎岩の加工屑が堆積したものです。南崖の洞窟ではありませんが、神崎岩の採掘現場としては、松平俊雄編『常磐公園攬勝図誌 下巻』(31コマ)の面白い構図の挿画から、当時の作業風景を知ることができます。描かれている場所は「五本松下」と思われます。
[碑陽東向]
茨城百景 偕楽園

[碑陰]
昭和二十五年五月選定 茨城縣
   茨城縣知事 友末洋治書

なお本碑から苑路を東へ進み、東門へ通じる坂道の途中、フェンス越しに、「大日本史完成の地」碑の碑陰を見ることができます。こちらは後日「常磐神社の石碑」で紹介したいと思います。


画像子規句碑(昭和28) 好文亭南側の櫟門から南崖を下る途中に南面して建つ碑で、明治の俳人正岡子規(1867~1902)の句を刻みます。子規が同窓の菊池謙二郎を水戸に訪ねたのは、明治二十二年(1889)四月のことで、そのときの様子は『水戸紀行』から知ることができます。
この碑は昭和二十八年(1953)に水戸の俳人たちによって、東湖神社裏に建てられたもので、昭和四十年(1965)この地に移設されました。建碑時期から察するに、子規の没後五十周年を記念したものでしょう。
案内板の内容を以下に示します。


  
[案内板]
  子規の句碑

 崖急に
  梅ことごとく斜なり

 この句は明治時代の代表的な俳
人である正岡子規が偕楽園を訪れた
際、南崖の梅を詠んだものです。

MONUMENT INSCRIBED
WITH SHIKI MASAOKA'S
HAIKU POEM

Shiki Masaoka was one of representative 
haiku poet in Meiji era.
This haiku inciudes the sight of plum trees
on the southern slope of this Garden.

(an outilne of the haiku)
On the steep hill、
 Stand aslant the plums
  One and all.


追記:好文亭の庭に『和実梅』と刻む小碑があります。

以上で偕楽園を終えます。

参考:網代茂『水府異聞』
  :松崎睦生『水戸の梅と弘道館』


このページでは、島根県立大学e漢字フォントの漢字フォント画像を使用しました。







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